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神戸発: 脱藩組の挑戦

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戻りました。

しばらく旅にでておりましたが、戻って参りました。
無事に昨年から人生の第二章を歩み始めました。

* * * * *

幼少期を海外で過ごした僕は日英バイリンガルとして育ち、
1999年にシリコンバレーに駐在員として赴任したのは20代後半の頃でした。

いよいよどっぷりと英語を駆使して世界で仕事に挑戦できる、と興奮し、
これから巡り会うであろう仕事のChallengeに、
期待で胸を膨らませて、サンフランシスコの空港に降り立ちました。

ところが現実は、日本とは違う異文化圏でのビジネス風土が分からず、
また世界中から集まってくる半導体やITの優秀な人材に圧倒されて、
幾重もの苦労と失敗、そして挫折の連続でした。

日英バイリンガルだが、シリコンバレーで仕事が全くできないという現実。
グローバルなビジネス環境では、自分の力が通用しないという現実。
全く予想ができませんでした。

「お前は本当に仕事ができない奴だ、明日にでも日本に帰国させる」と
当時のシリコンバレー駐在事務所の上司に言われる日々。
日本の本社からも、
「○○君、君はもっと仕事ができると思って送り出したんだが、
私の思いは外れたようだ。このままだと後任者を考えなければいけない」と
言われてしまう始末。

あの頃、この状況から打破するにはどうしたらいいか、
日々もがいていましたが、一人では解決策が見いだせず、
出口も見えない毎日に苦しんでいました。

でも、苦しんだ分、また頬を伝って流れていった悔し涙の分、
もがき、挑戦し、発見し、実践し、少しずつ学んでいきました。
また、シリコンバレーで出会ったたくさんの方々に支えて頂き、
そして手を差し伸べて頂いたお陰で
一つ一つ確実に乗り越えていくことができました。

* * * * *

学生生活を終え就職した時に、
東京で「日本流」のビジネス流儀を叩き込んで下さったのは
上司や先輩、そして取引先でした。

そして、その日本流がそのまま海外でも通用するはずだと
勘違いしてしまったのは僕の経験不足のなせる業でした。

シリコンバレーで仕事ができずに苦労していた時に、
「シリコンバレー流」のビジネス流儀をみようみまねで覚えていった相手は、
僕のビジネスの師匠となったビジネス経験豊富なアメリカ人であり、
そして取引先で出会った方々や、SymposiumやConvention、
そしてConferenceなどで出会うことができた方々でした。

シリコンバレー流のビジネス流儀を身につけ、
結果が仕事に結びつくようになり、自信もでてきたころ、
シリコンバレーで勝負をしたいと思うようになりました。
そこで、2004年に現地のSilicon Foundryのスタートアップに転職、
その後、2005年に現地の半導体Fabless企業に移りました。

仕事はとてもChallengingでかつDemandingでしたが、
その分Fast PaceでRewardingなものでした。

仕事でのPerformanceも残し、緊張感もやりがいもある仕事ではありましたが、
仕事に全力疾走しすぎて、振り返ると家族を犠牲にしていました。
特に、1年に14回アジアに出張した年は、プライベートの予定が全くたたず、
愛しい妻にとても寂しい思いをさせてしまいました。

* * * * *

アメリカで勝負したいと言った僕。
脱藩を決意した時、それを全力で支えてくれた妻。
仕事でPerformanceを出せば出すほど、忙しくなり、犠牲になっていく家族。
これをこのまま続けてHappyなのか、と自問自答をする日々が続きました。

そんな時、この業界にいる10年後の自分をイメージしてみたところ、
全くイメージできませんでした。
仕事の成功が、人生の成功につながると信じて全力疾走してきた僕は、
異なる価値観をこの時、受け入れられるようになりました。

そして、僕にできることは何だろうと考え始めていた時、
あることに気づいたのです。
それは、僕には13年間心血を注ぎ、努力して身に付けてきたものがある、と。
実戦にて失敗して、考えて、改善して、それでもまた失敗して、
試行錯誤を繰り返していく中で
悩み、苦しみ、そして時には涙を流すほど悔しい思いをしながら
踏ん張って一つづつ自分の血となり肉としてきたものがある、と。

そうした僕の経験と、そして身に付けてきたものが
少しでも同じことで悩んでいる人々の役にたてるのであれば
こんなに嬉しいことはない、と。

*  *  *  *  *

英語ができても仕事ができないのは何故だろう。
どうして日本で教わった日本流のビジネスが、海外ではうまく作用しないのだろう。
どうしたら国際ビジネス風土で円滑に仕事ができるようになるのだろう。
何故謝罪してはいけないのか。
どうしたら、グローバルなビジネス環境下で
世界から次々と集まってくる優秀な人材達と
対等に渡り合えるようになるのだろう。
どうしたらより効果的なプレゼンテーションができるようになるのだろう。
ランチミーティングで何を話したらいいのだろう。
どうしたら相手から情報を引き出せるようになるのだろう。
どうしたら外人の上司とうまくコミュニケートできるのだろう。
どうしたら常に自分を有利な立場におくことができるのだろう。
どうしたら交渉で自分の描いたシナリオに近づけることができるのだろう。
どうしたら周囲の信頼を勝ち得ていくことができるのだろう。
どうしたら個を尊重する文化の中でTeam Workを生み出すことができるのだろう。
どうしたらPerformanceを最大限発揮していくことができるのだろう。

* * * * *

これらを、僕が1999年に渡米した時に教えてくれる人がいたら、
どんなに僕のキャリアの為になっただろう。

これらを、僕が1999年に渡米した時に教えてくれる人がいたら、
どんなに僕の世界が早く開けたことだろう。

でも、同じような悩みを抱えていらっしゃる方々、また、
これからこのような悩みを抱えていかれるかもしれない方々に
僕の経験から還元することができれば、
今からでも決して遅くないのではないだろうか、と思いました。
そして、人生の第二幕となる舞台を、
シリコンバレーから日本に移すことにしました。

* * * * *

僕がシリコンバレーで味わった苦労や失敗、
そして挫折の経験などから学んで身につけた、海外で通用するビジネス流儀や、
外国人とビジネスを展開するにあたっての心構えなど、
これらを還元する仕事を昨年から展開しています。

人生の第二章、ブログを通じても様々なことを還元できればと思っております。
今後とも宜しくお願い致します。

# by dappangumi | 2011-05-25 10:05

「朝焼けに架かる橋」


10年ぶりに訪れたその土地は
僕たちをそっと迎えてくれた

波風一つ立たぬ海に浸かりながら
朝焼けの空に架かって行く橋に気持ちをこめて

2009年6月撮影
# by dappangumi | 2009-10-03 07:42

感銘を受けた言葉たち

"So now I think, 'I cannot change something that happened to me already. But I can change the meaning."

(Kim Phuc Phan Thai女史、2009年8月29日、New Yorkにて開催された第21回Annual World Burn Congressにて)

ヴェトナム戦争を象徴する写真となった、ナパーム弾による全身火傷を受けて、苦痛にゆがみながら道を走って行く裸の当時9歳の少女。この少女がKim Phuc女史であり、46歳になった今、最近開催された会議での発言であった。

「過去に起こったことは変えられない。でも、その意義は変えられる。」なんというポジティブな発想なんだろうと感銘を受けるとともに、この前向きな発想は想像もつかないほどの労苦を一歩一歩乗り越えてきた体験の上に成り立っているような気がした。

火傷による神経の損傷がかなりひどかったので、今でもある場所の痛みが火傷の傷跡全体に広がっていくことがあるという。そのような時は健康食をとり、運動をし、前向きで明るい姿勢で物事に取り組むことによって痛みがなくなるという。Phuc女史が言われたことで、僕が更に感銘を受けたのは次の部分だった。

"The pain I consider as my protection. It humbles me, and helps me to never take my life for granted," she said. "And to share my story."

*  *  *  *  *

Phuc女史の発言を読んで、僕も過去に苦しい体験をして何とか這い上がろうと努力を重ねた結果、似たような考えを巡らしたことを思い出した。I cannot change the past, but I have the power to change the future.

苦しかった過去をプラスに変えることができれば更に未来は開ける! Phuc女史にそう励まされている気がした。

# by dappangumi | 2009-09-11 00:54 | 人物

東京大学 福島智准教授の祝辞を読んで

僕が尊敬する方のお一人から新年のご挨拶を頂いた際に東京大学福島准教授の平成19年度東京大学入学式(学部)祝辞をご紹介頂いた

福島准教授のことを初めて知った。そして高校生の時に全盲ろう者になったということも知った。スピーチを読み終わって福島准教授は本当の挑戦者だと思った

僕がもし9歳で全盲になり、高校生で聴覚を失って、全盲ろう者になったらどうだっただろう、と考えた。次から次へと立ちはだかる筆舌しがたい困難に、福島准教授のように勇敢に立ち向かうことができただろうか。

想像を絶する困難に、想像すらできなかった

福島准教授は「指点字という指先で伝えられる言葉の力によって生きるエネルギーを与えてもらいました」と仰った。指点字がお母様の発明とのこと、お母様も本当の挑戦者だと思った。

現状に負けず、困難に屈しない屈強な精神
常に挑戦をし、最後まで戦い抜く

そういう母と息子の姿を見た

*  *  *  *  *

全盲ろう者になり大学進学を悩んでいた時、高校時代の担任の先生のアドバイスはこうだった。「前例がないなら君がチャレンジして前例になればいいじゃないか」

こういう素晴らしいアドバイスをして下さるのは、福島准教授が歯を食いしばるような挑戦の日々を、そして真剣な日々を送っていたからこそだ、と思うと同時に、そういう素晴らしい方に囲まれて送る人生というのは、人生を更に豊かにしてくれるものだと思う。

僕はシリコンバレーでたくさんの尊敬できる方との出会いに恵まれた。
・転職の際に色々なアドバイスを頂いた方
・仕事に行き詰ると、いつも相談に乗って下さる方
・人生やゴールについて色々と相談に乗って下さる方

業界や年齢層も幅広い方々とお付き合い頂き、節目節目に自分の人生を決定づけるような
貴重なアドバイスを頂いてきた。そして助けて頂いた。そういう方々のお陰で今の自分がある。
感謝の気持ちで一杯とともに早く恩返ししたいと思う。

*  *  *  *  *

福島准教授は続ける。「そしてもう一つは、どのような困難な状況にあっても、可能性がゼロになるということはない、チャレンジし、現状を変革していく可能性は必ずある」

僕も同じ心情で物事に取り組んできたが、福島准教授のそれとは次元がはるかに違った。福島准教授は実際にかなり困難な状況にご自身が直面し、そして挑戦して見事に打ち破ってきたご自身の言葉だけあって、とても重みのある言葉だった。

*  *  *  *  *

僕にとっての挑戦とは何かを整理してみた

「挑戦」とは、他者ではなく自分との戦いである。「挑戦」とは、夢をかなえるために着実な準備をし、努力を継続して成功を掴み取っていくことである。「成功」とは、地位や名声や権力ではなく、自分の夢を実現することであり、そして夢を実現する過程そのものである。

こう思う。

*  *  *  *  *

福島准教授は更に続ける。「挑戦とは、常識的な意味での社会的な名誉やステータスを得ることだけがその目標なのではなく、自らがしっかりと生きていくこと、そして自分と他者が共に生きていくことを支えていく営み自体の中に、本当に困難な部分があり、その営みこそが最も重要な挑戦なのだと思います」

とても深く、そしてとてつもなく本質を仰っておられると感じた。この意味を深く理解できるよう考えていきたいと思う。

*  *  *  *  *

僕が福島准教授の東京大学入学式祝辞を読んで魂を揺さぶられたのは、9歳という若さから激動の挑戦を続け、全てを克服されてきたこと。また、周囲とのコミュニケーションや接点を本当に大切にしながら挑戦を続けてこられてきたこと。そして、ご自身の人生の経験から「挑戦」の本質を誰よりも深く見極められていらっしゃること。そして何よりも、今でも挑戦の手を緩めていないこと。

*  *  *  *  *

僕にますます挑戦する勇気とエネルギーを与えてくれた福島准教授と、一年の計が決まる元旦にその素晴らしいスピーチを共有して下さった方に感謝したい。
# by dappangumi | 2008-01-05 05:11 | 人物

祝!ダイエット成功!

最近達成したこと。それは5kgのダイエットに成功したことである。きっかけは家内の一言だった。「最近少し太っちゃったね」

友達が撮ってくれた僕の写真は見るも無残な姿だった。こ、これが自分か、と信じられず、何とかしなければという強いMotivationから昨年秋のダイエットが始まった。

●目標:
5kgのダイエット(65kg→60kg)

●約束事項:
 1. おなか一杯食べない。腹6~7分で抑える
 2. 朝・昼にたくさん食べて、夜はほとんど食べない
 3. 油モノは一切食べない
 4. 野菜を虫のように食べる
 5. ビールを飲まない、お菓子を食べない
 6. 週1回・30分の水泳

●1~4週
体重は一向に減らない
途中で挫折しそうになるも
「今まで見たことの無い自分」を
これ以上見たくないという強い思いから継続

●5週目
体重が落ち始めた
毎朝体重計にのるのが楽しくなった

●6週目
どんどん体重が落ちた
5kgの減量に成功し、針が60kgをさした

●7~8週
60kgを維持

●9週目
接待・外食Weekを強い意志で乗り越え
59.5Kgにまで落とす
ほほの肉も落ちて顔の輪郭が変わった

●10~11週
食欲が旺盛になったが野菜を食べて空腹をごまかす
そのお陰でリバウンドもなく60kgを維持

●12週目
ズボンのサイズが31から29へと2サイズ小さくなった
ついに足がマッチ棒になった

●13週目(現在)
怒涛の年末年始Party Seasonを乗り越え
それでも60kgを維持
各Party前の水泳が効力を発揮した様子に満足

*  *  *  *  *

今年の健康目標:
一。水泳を続けること
一。ズボンのサイズを28にすること
一。Speedoの似合う男になること

よし、頑張ろう!
# by dappangumi | 2008-01-03 05:09 | つれづれ日記

感謝

シリコンバレーに来て良かったこと

それは、仕事を通じての素晴らしい出会いや、ワイン・写真・妻の人脈・そしてブログなどを通じて本当にたくさんの方々との素晴らしき出会いに恵まれたことである。

東京で暮らしていたら、高校や学生時代の友達に囲まれ、楽しく有意義な時間を過ごすことができただろう。逆にその居心地の良さが、幅広い趣味・業界・年齢層の方々との新たな出会いを
妨げていたかもしれない。

8年前シリコンバレーに来た時は妻と二人ぼっちだった。今は、たくさんの素晴らしき友人や人生の先輩方のお陰でとても楽しく有意義な時間を頂いている。

2007年。素敵な時間をShareして頂き、そして僕達をサポートして頂き、本当にありがとうございました。

2008年。そんな素晴らしい皆様に僕達から少しでも恩返しができるよう頑張ります。

2008年が皆様にとって素晴らしい年でありますように

                                  願いと感謝を込めて
                                  2007年12月30日
                                  脱藩組
# by dappangumi | 2007-12-30 05:07 | つれづれ日記

愛しい妻へ

二人で人生を共にすると誓ったあの日から9年目。今年も二人三脚で来れたことを幸せに思う。

春。過去2年間の超多忙な日々の漬けがまわって、僕がいよいよバーンアウトしてしまい放心状態の時、君はいつも側にいて暖かく見守ってくれた。

夏。心が張り裂けそうな時、僕はいつも君の側にいた。その輝くような笑顔を取り戻しに君の大好きなビーチリゾートへ行ったね。

秋。僕はいつも君の側にいた。過去2年間、毎月のように海外出張だったのに、この時期は出張を控えてずっと一緒にいた。とても充実して楽しい時間を過ごせたね。

冬。僕はいつも君の側にいるよ、大丈夫。

*  *  *  *  *

努力や愛情、信頼や思いやりの積み重ね。それがあったからこそ今の僕達があるんだと思う。僕達は二人ではなく二人で一人なんだ。だから大丈夫。僕はいつも君の側にいるよ。

                              妻への感謝の気持ちを込めて
                              夫より

# by dappangumi | 2007-12-16 05:18 | つれづれ日記

2007年を振り返って

シリコンバレーで戦う決意を固め、2004年初夏に脱藩してから3年半の月日が流れた。振り返ると脱藩した当初、僕はかなりとんがっていた。

自分を証明してやる
絶対に成功してやる

今思えば、「え~、○○社なんかに転職するのか」と10年近く勤めた会社の一部から言われたのがとても悔しかったのだと思う。キャリアパスを考えて選択した道。将来やりたいことを実現するための道。それを否定された気がして絶対に見返してやると息巻いた。

今思えば、自分が信じた道を突き進めばいいだけであって、周囲の雑音に惑わされる必要はなかった。当時は若かった。若さゆえのパワーと情熱を制御できないまま、仕事に思いっきりぶつけていた分、雑音がすなわち己の人生を否定されたかのように捉えてしまい、敏感に反応してしまったのだろう。

*  *  *  *  *

シリコンバレーで戦う決意をしてから1年が経過した。脱藩当時にどうしても行きたかった、でもポジションに空きがなく行けなかった企業からお誘いを頂いた。自分が描いたキャリアパスの通りになった。

それから2年半。この企業で超多忙な日々が続く。正直大変な時期ばかりであった。でも困難を成長の糧として全てを乗り越えてきた

*  *  *  *  *

最近思う。2007年の自分はとんがっていない。脱藩当時のとんがっていた自分はもういない。自分はもうとんがれないのか、とある意味悲しいと思う時もあった。だけど最近気が付いた。それは決してパワーや情熱がなくなったのではない、年と経験を重ねると同時にパワーや情熱も形を変えてきたのだと。当時はただがむしゃらに走ってきたけど、そのパワーや情熱を今はコントロールできるようになったのだと。

肩の力が抜けて、自然体になれた。思いのままに突っ走るのではなく自分をコントロールしながら冷静に走ることを覚えた。そんな風に成長できた2007年だった。

*  *  *  *  *

2008年。昨年よりも更に大人な成長ができる自分を目指して取り組んでいきたい。
# by dappangumi | 2007-12-14 05:20 | つれづれ日記

速度

どうしても引き合わせたい方々がいらっしゃった。僕が普段とても懇意にして頂いている、シリコンバレーの尊敬する先輩方である。どうやらその方々は以前仕事でお会いしているらしい。10年近く前の話であった。Lunchを設定してほしい、とお二人からご要望を頂き、念願かなってやっとSettingができた。

お二人の再会。思った通り、話がとてもはずむ。二人の間に流れている空気はとても早い。僕はついていくのがやっとである。さすがシリコンバレーで戦っている者同士、切れ味が違う。戦う者同士にしか分からないにおいとでもいうのだろうか、自然と心と心が共鳴しているのが側で聞こえる。

*  *  *  *  *

人は皆それぞれの速度で走っていると僕は思う。Joggingの速度、自転車の速度、機関車の速度、車の速度。目的地は人それぞれで、Goalが山の中腹にあるのか、山の頂上にあるのか、山の向こう側にあるのか。はたまたそのGoalは険しい山なのか、連なる山脈なのか。

Goalまでの道のりは人それぞれで、そこに何歳でたどり着きたいかで生きる速度が決まるのだと思う。このシリコンバレーで戦う二人の戦士たちは同じ速度で走っていた。新幹線の速度で走っている人に見える景色は、同じ新幹線の速度で走っている人にしか見えない。だからこそ同じ速度で走っている人同士が出会うと自然と心が共鳴するのだろう。

僕も早くお二人と同じ景色が見れるよう、日々精進したい。そう思ったLunchであった。
# by dappangumi | 2006-07-04 09:43 | つれづれ日記

水面浮上

やっぱり半年以上も水面下に潜っていると気がおかしくなる。

仕事に忙殺された半年間。頭がおかしくなる。人間の幅も広がらない。仕事のための人生なのか。そんな状況に陥ってきた自分に気づき、先週からランチの時間は何とか時間をつくって友達に会ってもらうことに決めた。

*  *  *  *  *

1年ぶりに再会した、以前の会社の同僚である香港出身のA。同世代で、とても気の合う同僚だ。近況を報告する。ここ数ヶ月、毎晩のように深夜まで会社で仕事をしていること。また、ここ1ヶ月は時差の都合から午前2時から顧客と電話会議を行っていたこと。午前3時半に終わり、朝9時には出社して働いていたこと。週末も電話会議で全く休んだ気がしないこと。サンフランシスコに気晴らしに行ってもひっきりなしにかかる電話。4週間に1回の海外出張。僕が働いている会社、それはシリコンバレーでも1位、2位を争う位死ぬほど働く会社で有名な会社である。これが僕の数ヶ月の生活だった。

Aは僕の話を聞いて一言。"Get a life, man..."

その通りだと思った。Aは続ける。"I am not telling you not to work hard, but just find the balance point." "Maybe we can have a cup of coffee at Starbucks some afternoon during weekend.....just enjoy."

Aに感謝した。AはITサポートをメインとしており、最近引退した同僚の話を聞かせてくれた。30年以上も勤務して蓄積してきたFileやDataを、AがDeleteするのに数秒しかかからなかったという。Aは"How do you feel?"と問う。引退した同僚は言う。"I guess human is not meant to born just to work..."

とにかくEnjoyしろ、とAは教えてくれた。

*  *  *  *  *

別の日に、時間をつくってお会いして下さったのは僕が尊敬する先輩Bさんである。

緊急のMeetingが入り、約束の時間が1時間ずれこんでしまっても、Bさんは僕を快く迎えてくれた。Bさんは午後一のMeetingをCancelしてまで僕を快く待ってくれた。

Bさんは僕の体と精神状態をいつも気遣ってくれる。「○○君、体は大丈夫ですか?」大先輩である。本当に心が落ち着く方である。

Bさんはこんな僕の精神状態を察知し、忙しい中、MeetingをCancelしてまで2時間近くもお付き合いして下さった。僕がどんな半年を送っていたか、怒涛のように僕の口から出てくる仕事(や愚痴)の話も、Bさんはじっくりと耳を傾けてくれた。

Lunchが終わり、会社に戻ると、かなりすっきりしていた自分がいた。Bさんはいつも僕をすっきりさせて下さる、そんな偉大な方である。

*  *  *  *  *

その翌日、時間をつくってお会いしてくださったのは、僕が尊敬するCさんである。Cさんと久しぶりにお会いした途端、Cさんは「おー、○○君の笑顔をみて安心したよ」と言って下さった。僕もそれを聞いて途端にほっとした。

Lunchで近況を報告する。僕は今まで業界でSurviveすることを念頭において仕事をしてきたが、今勤務する会社は社内でSurviveすること自体がとても大変であることを伝えると、Cさんは、次のようにAdviceしてくれた。

「社内でSurviveするのが大変な会社というのは確かに鍛えられるかもしれないけど、同時に社内でSurviveする術を磨くだけで、気がつくと井の中の蛙になる可能性があるから、それは気をつけるといいよ」

Lunch中に様々なAdviceを頂いた後、Cさんの事務所に立ち寄る。そこは日系企業時代にとても懇意にして頂いていた当時の最大顧客の一つである事務所である。1年半前にその競合に転職してしまったので、当時の方々となかなか会う機会がなかったが、CさんにEscortして頂いて事務所内を歩くと、懐かしい顔に次から次へと再会した。「Hey, ○○! How have you been?!」

皆とても暖かく迎えてくれたのが最高にうれしかった。当時、とても懇意にして下さっていた時期と何ら変わらずに迎えてくれた。業界では今は僕が顧客サイドになっているが、皆、昔と変わらない笑顔で、立場も何も気にせずに、友達として迎えてくれたのが最高に嬉しかった。

あの頃を思い出す。毎日必死に戦い、忙しいながらもLifeをEnjoyしていた時代。金曜日の午後、事務所に流れるゆったりとした時間。今は仕事に追いまくられ、自分を見失いかけていた自分に気づかされた。

Cさんは言う。僕はまだ若く今は自己投資をすべき時であり、今の会社は僕を鍛えるには良い環境である。○○君だったらあと5年は走れる。頑張れ!

えー!あと5年も走リ続けるのですか!とりあえず5月のGWに休ませてくださいよ!と笑いながら、CさんとのLunchに別れを告げた。

金曜日の午後、ゆったりとした時間。自分を見つめさせてくださった。
A,Bさん、Cさん、ありがとうございました。
頑張ります。








# by dappangumi | 2006-03-27 11:02
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